新型コロナウイルス騒ぎは、様々な発見を我々に与えている。
・これだけ科学が発達しても、たった1種類の目に見えない無生物に、全世界が翻弄されてしまうこと
・交通インフラ、ネット社会が発達し、政治・文化・経済の世界的な結びつきが深まったため、ウイルスが急速に全世界に広がったこと
・ウイルスに対する傾向と対策の在り方に、その国の政治・文化・経済が面白いくらいに反映されること
・マスクに対する考え方が示すように、エビデンスだけでは世の中回っていかないこと
→自分がマスクをしていればほかの人にウイルスを広げるリスクを減らせる、という目的でマスクをするのが正解だが・・・
→実際には、世界中でマスクをしているほとんどの人が、マスクをしていればウイルスをもらうリスクを減らせる、という神話を信じていることだろう
・社会がどれだけたくさんの「不要不急」であふれているかということ
・社会でどれだけたくさんの人が「不要不急」に依拠して生活しているかということ
・自粛できない人はたくさんいること
・国が、たくさんお金を印刷してみんなに配ります、というだけで、経済の実態が縮小の一途をたどっていても、株価は上がること
・一所懸命病気の人を助けようと仕事をしていても、そのことによって自分も家族も被差別対象となりうること
・ヒトの活動が抑制されたことにより、大気汚染の改善、海洋生物の活発化など、皮肉な反作用が様々見られること
などなど。
私自身もそうだが、有事の政治の在り方に疑問・懸念を持つようになった国民は、少なからずいるのではないか。
我が国の内政以外にも、かの国はやっぱり油断ならない、火事場泥棒そのもの、と他国を見直している人は、少なくないはずだ。
ヒトにとってのがん・細菌・ウイルスは、どんな存在なのか。
地球にとってヒトとは、どんな存在なのか
哲学的な発想かも知れないが、以下のように置き換えると関係性が理解しやすい。
ヒト vs がん・細菌・ウイルス vs 治療。
地球 vs ヒト vs がん・細菌・ウイルス。
ヒトは、 がん・細菌・ウイルスの攻撃を受けて命を落とすが、 がん・細菌・ウイルスと対峙するための治療が登場する。
地球はヒトの跋扈を許してその生態を蝕まれる(環境破壊、種の絶滅)が、ヒトと対峙するためのがん・細菌・ウイルスが登場する。
・・・我々は、宿主である地球とより円満に共存する手立てを、この機会によく考えるべきなのではないだろうか。
少なくとも経済界・産業界は、そうあるべきだろう。
県外移動を「自粛」するように要請され、袋小路にはまり込んだ家族の、なんと多いことだろうか。
高齢の患者を診療していると、患者家族の半数以上は県外に住んでいる印象を受ける。
いまどき、どこの病院や施設でもそうしていると思うが、「不要不急」の家族の面会は禁止している。
荷物や着替えを届けるために病棟に出入りしてよいのは一家族一人だけで、それも10分程度に限られる。
患者の外出、外泊は原則禁止。
県外からの家族との面会などもってのほか、という有様だ。
最近うわさに聞いたところでは、インフルエンザの流行期から上記体制を布いている施設では、その期間が半年を超えているとか。
平時であれば人権侵害として公に糾弾されてしかるべき対応だと思うが、いまどきでは誰も何も言わない。
新型コロナウイルスで命を落とした家族の遺骸に触れられずとも、終末期がんで旅立った家族と会えずとも、である。
そして、最近私が思うのは、究極的には医療はAIやオンラインでは代替できないだろう、ということだ。
最近転院受け入れをしている患者の殆どが、進行期がんの患者である。
上記のような理由で、入院患者と家族が直接会う機会は非常に限られる。
入院患者と家族が、一緒に担当医と話せる機会は、おそらく入院時くらいである。
これが何を意味するか。
担当医からの病状説明は、患者と家族は常に別々に受けなければならないということである。
それはどういうことにつながるか。
担当医、患者、家族の間の病状認識が、日常的にずれてしまうことにつながる。
進行がんの患者が認知症だったり、担当医との窓口となる家族の理解力が不足していたらどうなるか。
火を見るより明らかだ。
実際にそんなことが私自身に起こっており、各自の病状認識を揃えるために、入院時面談では日頃の3倍も4倍も神経をすり減らしている。
あまりにも大変なので、今度受け入れる予定の進行期肺癌、大腿骨病的骨折術後の患者さんの受け入れに際して、転院時には患者・家族にどのような病状説明をしたか書面で教えてほしい、と要求したところ、これから面談日程を組んで説明するから待ってくれ、ということで、転院が1週間延期された。
おいおい。
医療行為自体は、AIで代替できるかもしれない。
ただし、オンラインのみで診療を完結させる医師は、本来の意味での医師ではない。
患者と話して、見て、聞いて、匂いをかいで、触れて、感じてこそ、次の診療のステップに行ける。
こうしたプロセスを経ずに診療しようとする医師は、それこそAIか、もしくはオンライン診療に特化した特殊な医師により真っ先に淘汰される対象となるだろう。
そうした意味では、業務の性質上、やむを得ず大部分の医師が淘汰されてしまう診療科も出てくるかもしれない。
そして、決して代替できない医療行為は、医療面接である。
進行がんの患者・家族を前にして、相手の理解力や感情の機微、これまでの経緯を理解しつつ、SPIKESに基づいた医療面接を行うことは、知識・知性のみならず、経験や感受性を高度に要求される。
患者、家族、担当医が同じ空間を共有しなければ決して得られない相互理解、私は他の手段では代替不能と考える。