肺がんの診療を進めるにあたり、常に意識することがあります。
・その患者さんにとって、肺がんと診断することはどんな意味があるのか
・その患者さんにとって、肺がんの治療をすることはどんな意味があるのか
・その患者さんは、肺がんと診断されることの意味を理解できるのか
・その患者さんは、肺がんの治療をすることの意味を理解できるのか
・自分がどのように関われば、その患者さんの利益が最大化されるのか
・自分がどのように関われば、無用な不利益から患者さんを遠ざけられるのか
・こうしたことを、患者さんの家族は理解してくれるのか
目下の悩みの種のひとつに、まだ診断がついていない肺がん疑いの患者さんに対して、胸水穿刺を行うべきか否か、というのがあります。
大腿骨頸部骨折後のリハビリ目的で入院しています。
心臓合併症に対して、抗凝固薬を定期服用しています。
肺に影があることは患者さん本人もご家族もご存じで、紹介元の呼吸器内科医とは何もせず経過観察をするということで話がついています。
別に悩むことはなさそうです。
紹介元で、何もせずに経過観察をすると話がついているのですから。
肺がん疑いに対しては、何もせずに様子を見るのが当たり前の対応でしょう。
画像診断上は明らかに進行期で、2か月前のCTと比較して入院時のCTでは明らかな病状の進行があります。
リハビリをして体力が回復するのが先か、肺がんが進行して終末期を迎えるのが先か。
難しい判断です。
肺がんの診断をつける努力をして、なんらかのドライバー遺伝子変異が見つかったとしたらどうでしょう。
ALK融合遺伝子陽性だったら?
アレクチニブを開始したら、この患者さんの将来は劇的に変わりうるのではないでしょうか。
無診断・無治療経過観察を希望している進行肺がん疑いの患者さんが転倒、骨折し、リハビリ目的で転院してくる。
稀なケースと思われるかもしれませんが、決して少なくはありません。
その都度、呼吸器内科医として担当する私の心は千々に乱れます。
細かく説明をして、肺がんの診断・治療とリハビリに前向きな見通しがつかないか探るため、紹介元の意向に反して肺がんの診断作業を進めるべきなのか。
紹介元で定められた方針を受け入れて、リハビリはそこそこにして、来るべき肺がん終末期に向けた準備を粛々と進めるのか。
ここ数日ずっと悩んでいたのですが、仲間のリハビリスタッフがこのように彼なりの見通しを話してくれました。
・CoVIDの流行状況のあおりがあって、脚の手術を終えてから当院に転院してくるまでに随分と時間がかかってしまった
・術後のリハビリがあまり積極的に行えていなかったようで、下肢の拘縮が想像以上に進んでいる
・歩行はおろか、安定した座位を保持する見通しすら全く立たない
・認知機能の低下が目立ち、リハビリ意欲そのものがあまり感じられない
リハビリスタッフの視点からこの患者さんのリハビリの見通し、機能的予後の見通しを教えてくれたのです。
抗凝固薬を中止して、無理な態勢で胸水穿刺をしたとして、仮に何らかの診断がついたとしてもこの患者さんのリハビリの進捗、ひいては機能予後には大きな影響はなさそうです。
むしろ、胸水穿刺による合併症発生のリスクの方が高いように感じました。
たかが胸水穿刺にどうしてそこまで日和る?と罵られそうです。
たかが胸水穿刺で、怖い思いをしたことがあるから日和るのです。
若手医師が胸水穿刺をする介助をしていたら、目の前で肋間動脈からの出血が飛沫を上げたことがあります。
出張先で請われて入院患者の胸水穿刺をしたら、夜間に患者が急変し、原因は重篤な医原性血胸だった、という痛恨の出来事もありました。
どちらも教科書的な手技を愚直に進めていたにも関わらず、起こってしまった出来事です。
だから日和るのです。
当面経過観察することとし、検査や処置のメリットが合併症リスクのデメリットを大きく上回るまでじっと我慢することにしました。