ものさし

 黒柳徹子さんの「窓際のトットちゃん」を読んだ。

 感想を書いて送ってくださった方だけでも、読者は5歳のお子さんから、103歳のお年寄りにまで及んだそうだ。

 自分のために書いてるブログ、と最近しょっちゅう言っているけれど、こういう本との出会いがあると、心揺らぐ。

 そんなわけで、今回は「ものさし」の話を書いてみる。

 治療を選ぶときのめやす、と言い換えてもいい。 

 治療選択をする上での主なものさし。

 多分、だいたいこんな感じ。 

 他にもいろいろあるけれど。

 なんたら期間、というものさしでは、数え始めの日は状況によって異なる。

 実臨床では、肺がんと診断した日が数え始めの日。

 治療に関する臨床試験では、その治療に割り付けられた日、もしくは治療を開始した日が数え始めの日。

・全生存期間

 日数を数え始めてから、患者が死亡するまで。

 原因は問わない。

・無再発生存期間

 手術後に、肺がんが再発するか、患者が死亡するか、どちらかが起こるまでの期間。

・無増悪生存期間 

 進行肺がんの薬物療法開始後、病状の悪化が確認されるか、患者が死亡するか、どちらかが起こるまでの期間。

・奏効割合

 進行肺がんの薬物療法開始後、主な病巣が、だいたい半分くらいの大きさに縮んだ患者の割合。

 昔は断面積を意識して二方向を量っていたけれど、今は病巣の一番長いところを量る。

・有害事象

 細かい話を省けば、早い話が副作用。

 脱毛がいやだ、ということで治療を受けない人も結構いるのでは。

 それぞれの治療にどんな副作用が起こりやすいかは、治療選択をする上では大切。

 仕事を続けながら治療を受けるとき、そりゃあ髪の毛は抜けない方がいい。

 治療開始後3週間たって、突然職場で髪の毛がバサバサ抜け始めたら、きっと職場のみんなはびっくりする。

・パフォーマンス・ステータス

 患者の体力。

 ひどい話だ、と思われるかもしれないが、一定の体力がなければ肺がんの治療を受けられない。

 肺がんのせいで体力が損なわれている、と分かっていても、治療できない。

 体力のない人に無理に抗がん薬治療をすると、副作用で患者が死んでしまうからだ。

 だけど、分子標的薬や免疫チェックポイント阻害薬が出てきて、パフォーマンス・ステータスの考え方も見直すべき時期に来ている気がする。

 なぜって、体力がないから治療できません、なんて、どう考えてもひどい話だからだ。

 「あなたは重症の肺がんで体力がないから、抗がん薬治療は出来ません」

という説明は一般に受け入れられている(と医療者は思っている)が、

 「あなたは重症の肺炎で体力がないから、抗菌薬治療は出来ません」

という説明は、明らかに医療倫理的な問題がある。

 我々には上の二文の違いが分かるが、多分一般の皆さんには分かりにくい。

 きっと、きちんと説明したとしても、根本的なところでは納得してもらえないだろう。

 以前の職場で、

 「あなたはパフォーマンス・ステータスが3だから、当院でできる治療はありません。元の病院で治療を受けてください」

と外来担当医が初対面の患者・家族に話しているのを、何度も見た。

 肺がんの診療って、一般の診療とはかけ離れてるんだなって、正直言って思った。

・患者の理解力

 「肺がんって、どんな病気なのか」

 「何のために治療をするのか」

 「治療をすると、どんなことが起こりうるのか」

 こうしたことが理解できない患者さんには、治療ができない。

 私が今勤めている病院には、こんな患者さんがたくさんくる。

・治療の値段

 安い方がいいに決まっている。

 だが、往々にして新しい治療ほど高くなる。

 ちょっとくらいの生存期間延長効果の違いがあっても、安い方が選ばれる、ということは、結構あるのではないか。

・治療の手軽さ

 同じくらいの効果が得られるなら、簡単な方がいい。

 4日間かかる点滴よりも、10分で終わる点滴の方がいい。

 点滴よりも、内服の方がいい。

 患者もそうだし、医療従事者もそうだ。

 ちょっとくらいの生存期間延長効果の違いがあっても、手軽な方が選ばれる、ということは、結構あるのではないか。

・クオリティ・オブ・ライフ(QoL

 簡単に言えば、その治療を受けて、患者の生活が患者の望むものに近づいたかどうかだ。

 痛みが軽くなる。

 息切れが軽くなる。

 歩けるようになる。

 仕事に行けるようになる。

 伴侶と旅行に行けるようになる。

 ときには、治療しない方がクオリティ・オブ・ライフが高いことがある。

 生存期間の延長を優先するのか、より快適な生活を優先するのか、ときには二者択一を迫られる。