ずっと考えていたんだけど、「緩和ケア」という言葉は本当に必要な語彙なんだろうか。
患者の苦痛を和らげる、というのは、医療従事者にとっては当たり前の使命であって、わざわざがん患者の診療のときに切り分けて考える必要があるんだろうか。
痛いと困っているときに、痛みを和らげる治療をするのは当たり前。
吐き気で困っているときに、それを止めてあげようと努力するのは当たり前。
息苦しさで困っているときに、酸素や薬で和らげてあげようとするのは当たり前。
むしろ、こういったことができないとき、その人に医療従事者として仕事を続ける資格があるんだろうか。
どうしても緩和ケアという言葉を使いたいのなら、それは患者と初めて会った時から始まり、ご家族の心が落ち着くまで続くものだろう。
ありふれた疾患に対して日々淡々と続けられている医療こそが、本来の緩和ケアなのではないだろうか。
たまたま患者ががんだからって、突然「緩和ケア」という言葉を持ち出すのは、かえって今のがん医療をゆがめているように感じる。
「緩和医療」=「終末期医療」とか、「緩和ケア病棟」=「終末期ケア病棟」という図式が独り歩きしているような気がしてならない。
最近、1年半くらい診療していた80代後半、90代後半の肺がん患者さんが相次いで亡くなられた。
前者は認知症のため住宅型有料老人ホームに入居しておられ、後者はお子さんたちにより手厚く介護をされながら、外来に通っておられた。
ホームの職員の方も、ご家族の方も、本当によく患者さんのお世話をしてくださった。
前者のご家族も、ホームに入居するまではご家庭で介護をしておられたのだが、ご自宅で本人によるボヤ騒ぎがあったり、入院中にも徘徊や火災報知器を誤作動させるなどの問題行動があったため、やむを得ずホームに入居していただいた。
お二方とも、状態が悪化して緊急入院してから、48時間以内に亡くなられた。
本当にギリギリの段階までホームやご自宅で見ていてくださったのだ。
我々よりも遥かに充実したケアをしてくださっていたのだ。
最近転院してきた患者さんも、いろいろと医療用麻薬や一般薬を調整して、PSが4から2くらいまで上がってきた。
ほとんど食事をとれなかったのが、ケ〇タッキーフライド・チキンやグラタンを平らげられるくらいまでになった。
病院最上階のお風呂で、子供さんたちと一緒に温泉を楽しむこともできた。
ご本人のお誕生日をお祝いすることもできた。
でも、どっちかというと薬のおかげというよりは、療養環境の変化とご家族の協力の方が大きいのだ。
担当医として、ご家族と病棟スタッフには頭が上がらない。
今度は一人でゆっくり大浴場を満喫することと、外出しておいしいものを食べに行くことが目標だと話している。
・・・もともとは終末期緩和ケアを受けに来た患者さんだったが、もうちょっと頑張れるんじゃ?
その次はお家で子供さんたちと過ごすクリスマス、お正月を目指してほしい。
あえて言うなら、こういうのが本当の緩和ケアなんじゃないだろうか。
症状を緩和して、自宅復帰を目指す緩和ケア病棟があってもいい。
私の勤務先には、かつてあった緩和ケア病棟はなくなってしまったけれど、病棟スタッフの間にはその精神は脈々と受け継がれているようだ。