・イレッサ/タルセバと肺癌

 がん治療の領域では、数年前から「個別化治療」という言葉が声高に叫ばれるようになりました。

 患者のがんの個性や、患者の背景(心身面、社会面まで含めて)を踏まえて、各人に最適な治療をしよう、という考え方です。

 ときには、患者に少しでも長生きしてもらうために、あえて抗がん治療を行わない選択をすることもあります。

 そういった見極めを適切に行うことが、われわれ専門医の使命のひとつです。

 

 約5年前までは、肺癌の薬物療法個別化医療は当てはまりませんでした。

 しかし、EGFR遺伝子変異、EML4-ALK染色体転座とそれぞれに有効な治療法の開発が、肺癌個別化医療の未来を切り開きました。

 

 EGFR遺伝子変異に関しては、最初に薬ありき、でした。

 2002年、臨床医と患者の期待を一身に背負って、肺癌領域初の分子標的薬「イレッサ(ゲフィチニブ)」が世に出てきます。

 全世界に先駆けて日本で最初に承認され、「夢の薬」と騒がれました。

 発売当時私は宮崎県で診療していましたが、最初に使用した患者の変化は文字通り「劇的」でした。

 死の床に瀕し、酸素投与量はもはやこれ以上増やせないところまで増やしても息も絶え絶えだった患者に、駄目でもともとで服用してもらいました。

 開始2日目には酸素吸入不要となり、5日目には普通に病棟廊下を闊歩し、約2週間後には自宅に退院していきました。

 その後半年間は良い状態が保たれ、ご主人と写真の撮影旅行を楽しむこともできました。

 最終的には治療抵抗性となり亡くなりましたが、とても良い治療ができたと思っています。

 後にイレッサと同等の効果を持ち、欧米では二次・三次治療の標準治療のひとつとして位置づけられている「タルセバ(エルロチニブ)」もわが国で使えるようになりました。

 

 イレッサ/タルセバには、上の例のように非常によく効く患者がいることが経験的にわかってきました。

 患者背景として、女性、組織型が腺癌、非喫煙者、アジア人が効きやすいこともわかってきました。

 そして2004年、非常に大きなインパクトを残す発見がありました。

 肺癌細胞にEGFR遺伝子変異が見られた場合、かなりの確率でイレッサ/タルセバの効果が期待できる、というものでした。

 2010年10月一部改訂の「肺癌診療ガイドライン」では、これまでのガイドラインで初めて、EGFR遺伝子変異陽性者の取り扱いについて規定されています。

 現状では、遺伝子変異陽性者の標準治療は、化学療法もしくはイレッサ/タルセバとされています。

 しかし、治療開始後の生活の質を考えると、まずイレッサ/タルセバから始めるべきだろう、と個人的には考えています。

 

 医師にとっては、がん細胞のEGFR遺伝子変異を調べることは、やや煩雑な作業です。

 診断時に、積極的に遺伝子変異を調べる動機付けがないと、そもそも検査自体ができないことすらあります。

 ですから、「専門医の」「適切な」診断を受けることは、あなたが最適な治療を受けるにあたり、極めて重要な意味を持ちます。

 あなたがもし肺腺癌にかかっていて、EGFR遺伝子変異について説明されたことがないならば、是非一度主治医とこのことについて相談してみてください。

 そして、よりあなたにあった治療がないか、主治医に確認してみてください。