非小細胞肺がんの薬物療法にかかる費用が高騰しているのは、次々に出てくる高額な薬のせいだ、とよく言われます。
確かにその通りです。
あちこちで論じられているので、いまさら言うまでもありません。
また、薬の単価だけではなくて、治療期間も長くなる傾向にあります。
治療期間が長くなるのは、その分患者さんが長生きしていることをも意味しているので、あながち悪いことではありません。
ただし、薬の単価×治療期間=薬による総治療費用である以上は、治療期間が長くなることは、経済的毒性を高めることであるのは自明の理です。
古典的なプラチナ併用化学療法は、3から6コースが適正で、それ以上はやってもあまり意味がないとされています。
しかし、二次治療以降のドセタキセルやペメトレキセド、S-1については、治療期間に上限はありません。
ペメトレキセドやベバシツマブといった高額な薬は、維持投与と非維持投与(一旦治療を中止し、増悪してから治療を再開する)のきちんとした比較試験が行われていないにも拘らず、なし崩し的に維持投与が標準治療になっています。
分子標的薬も、治療期間に上限はありません。
殺細胞性抗がん薬に比べると毒性が比較的軽微なため、明らかな病勢進行があっても継続投与されることが多く、その方が中止するよりも長生きできる傾向がみられることが我が国の臨床研究でも示されています。
oitahaiganpractice.hatenablog.com
はっきりとした病勢進行があっても、なんらかの症状が出てきても、薬を変更するよりは可能な局所治療や支持療法を加えながらそのまま分子標的薬を使い続けたい、という患者さんは、相当数いらっしゃいます。
高齢者であればあるほどそうです。
こうした趨勢に思いを馳せると、経済的毒性の問題を除けば、臨床試験計画に治療期間の上限を設けることはもはや意味がないのではないかと思えます。
そうはいっても、実地臨床での活用が前提である以上は、今後の臨床試験は経済的毒性(治療コスト)を切り離して考えるべきではありません。
臨床試験先進国である米国でも、治療適応の進行期非小細胞肺癌と診断されていながら、医療費が高額なために治療を受けられない患者さんが増えているといいます。
Increasing Rates of No Treatment in Advanced-Stage Non-Small Cell Lung Cancer Patients: A Propensity-Matched Analysis.
J Thorac Oncol. 2017 Mar;12(3):437-445.
David EA et al.
より有効性の高い新規治療薬が続々登場しているのに、経済的負担に耐え切れないためにその治療が受けられない。
なんと皮肉な話でしょうか。
人とひととをつなぐ役割を果たすスマホやSNSが普及したために、友人や祖父母にあっても相手の顔を見ずにスマホばかりを見ていて、社会性を失いつつある現代っ子のようです。
そして、今回のESMO2017で発表された、ニボルマブを途中でやめるか継続するかの臨床試験の結果を見てみます。
もともとは途中でやめたら毒性が軽減できるんじゃないかということで、毒性が主要評価項目となっていました。
しかし、誰もが注目するのは無増悪生存期間の結果です。
主要評価項目ではないとはいえ、誰がどう見ても継続投与の方が有望でした。
なかなかお目にかかれない、コックス比例ハザードモデルにきれいに乗っかりそうな生存曲線でした。
無増悪生存期間を延長しなくても全生存期間を延長する現象がしばしば見られる免疫チェックポイント阻害薬において、無増悪生存期間が延長した以上、全生存期間も間違いなく延長するでしょう。
途中でやめた方が間違いなく経済的毒性は軽減しているはずですが、さすがに経済的毒性を主要評価項目、生存関連エンドポイントを副次評価項目にすえるのは、倫理的に許されないでしょう。
・・・多分。