臨床試験と実地臨床

 2019年の終わりに寄せて。

 近年は、第III相臨床試験、それも実地臨床の内容を変えるような臨床試験の結果が頻繁に報告されるようになった。

 新しい小分子化合物の分子標的薬や抗体医薬、免疫チェックポイント阻害薬が世に出てから一定期間が立ったことが一つの理由だろう。

 資金力に優れる巨大製薬企業が、絨毯爆撃的に多岐にわたる臨床試験を同時並行して走らせていることも挙げられる。

 臨床試験デザインの変化により、臨床試験立案から結果が得られるまでの期間が短縮していることも挙げられる。

 試験体制がグローバル化して患者集積が早くなったことも挙げられる。

 中国やインドといった、多くの人口を抱える国から自前の臨床試験結果が報告されるようになったことも挙げられる。

 そして、開発スピードの加速とともに、結果発表の場としての国際会議が頻繁に行われるようになったこともまた、一つの理由だろう。

 しかし、臨床試験はあくまでも臨床試験であり、特別な状況下で行われた特別な診療の結果であることは常に肝に銘じておかなければならない。

 毎週50-60人の肺がん患者の追跡調査を行っているが、年末などの節目には、予定外来に来なかった患者、いったん他院へ紹介された患者など、経過が追えなくなった患者の追跡調査をしている。

 今年は例年より40人余り多くの患者を追跡することになった。

 それとともに、4-5人ほど、新規に診断された肺がん患者のデータを抽出したため、総計100人程度の患者の経過を紐解いた。

 こうした作業をしていると、いかに患者背景や病態が多種多様であるかがよくわかる。

 そして、臨床試験の適格条件をまず満たさないような患者に対してどのように処していくのか、簡単には答えが出ないこともよくわかる。

 間質性肺炎を合併した進行肺がんの患者など、溢れるようにいた。

 そもそも、間質性肺炎と肺がんには、喫煙という共通のリスク因子が絡んでいる。

 喫煙者には肺がん治療を受ける資格はない、というのが私の持論だが、それを実地臨床の場で振りかざすのは流石に倫理的問題が横たわる。

 せめても、喫煙関連の健康問題に対する診療費を補えるように、相応のたばこ税を課してほしいと切望するばかりである。

 

 膠原病関連の間質性肺炎患者に進行肺癌が合併したとなると、話は難しい。

 しかし、実際には、喫煙関連の間質性肺炎患者より、実は治療による間質性肺炎増悪のリスクは低いのではないかと、ひそかに考えている。

 何らかの理由で、もともとPSが低下している進行肺がん患者もいた。

 事故により下肢が不自由で、他の機能には全く問題がない進行肺がん患者には、積極的治療をするべきか。

 認知症の患者が転倒して骨折し、術前精査の際に手術可能な肺がん病巣が見つかった時、それは精査・治療をするべきなのか。

 免疫チェックポイント阻害薬による治療を重ね、経済的理由で治療が続けられなくなったら、それはそのまま治療の終了を意味するのか。

 昔から、人工透析をしている肺がん患者の治療も、難しい問題の一つである。

 人工透析をしている患者の肺がん根治切除は、非常に術後合併症のリスクが高い。

 人工透析をしている患者の化学療法も同様である。

 不思議と、人工透析をしている患者の化学療法は小細胞がんに対するものが経験として多いが、高度の骨髄抑制を伴う頻度が高いように感じる。

 

 複数のがんを同時に、あるいは時期を違えて経験する患者も、決して少なくない。

 手術可能な肺がんと、進行期の胃がんを合併した患者もいた。

 白血病治療後、GVHDに苦しみながら進行肺がんを発症した患者もいた。

 肝細胞がんを合併した肺がん患者もいた。

 頭頚部がん、泌尿器系がん、前立腺がんと肺がんを合併した患者など、珍しくもなんともない。

 個別のがんだけでなく、複数のがんの治療をどのように調和させて進めていくのか。

 がん以外の病気では、各臓器別疾患の専門医診療を受けながら、安定期はかかりつけ医が診療をする、という体制ができている。

 しかし、進行肺癌においては安定期と呼べるものがないため、専門医とかかりつけ医の連携といったモデル自体が成り立たない。

 では腫瘍内科専門医がそれを担えるかというと、これまた難しい。

 腫瘍内科専門医はそもそも絶対数が少なく、その地域格差は甚だしい。

 各地域の中核病院で腫瘍内科医が非常勤として勤め、肺がん薬物療法をしている様子を目にするが、有害事象発生時の診療体制を考えると不安で仕方がない。

 複数のがんの中で、最も進行したがんを管理している診療科の医師がイニシアチブをとっていく、という体制がしばらくは続くだろう。

 そうであるだけに、我が国における患者死亡数が最も多い肺がんの診療を担う我々は、常に様々な臨床知識を学ぶ必要があるのだ。

 薬の選択肢が増え、有害事象の種類も対処法も増え、治療の評価尺度ですら均一ではなくなり、肺がんの診療体系は年々混沌としつつある。

 そうであるからこそ、我々はステレオタイプな治療の考え方に陥ることなく、日々の勉強や実地臨床で得られた知識と経験を患者に還元し続けるべきだろう。

 実地臨床で得られた経験を使えるデータにして次に活かすというのは決して楽なことではないけれど、FLAURA試験で得られた日本人データなどを見ていると、実は自分の足元でも同じことが起こっているのではないかと、オシメルチニブを初回治療で使っている医師の誰もが自分の実地臨床を見直してくれることを願ってやまない。

 今年報告された臨床試験結果は数々あれど、我々に対して音高く鳴り響いた警鐘として、FLAURA試験の日本人データが何よりも印象に残る1年だった。