「社会にも研究にも、いわゆる「流れ」というものがあって、その流れにはいつも目を配っておかないといけないよ」
とは、私に肺がんの病理学を手ほどきしてくださった恩師が、私にたくさん授けてくださった至言のひとつです。
その当時、術後補助療法の有効性の目安となる治療効果予測因子を病理学的に見つけられないだろうか、という動きが盛んでした。
「ERCC1発現状態とプラチナ併用術後補助化学療法の有効性の関係」というと、往時を知る方ならニヤリ、とされるのではないでしょうか。
あれから15年、免疫チェックポイント阻害薬(ICI)が治療に組み込まれることになり、術後のみならず術前補助療法も実地臨床で活用可能となり、少なくともICI併用術後補助療法では切除組織のPD-L1発現状態が治療効果予測因子となることは周知のとおりです。
術前、術後の「補助化学療法」という呼称自体、今では時代遅れになった感があります。
どちらかというと、化学療法よりもドライバー遺伝子変異陽性例では分子標的薬が、ドライバー遺伝子変異陰性例では免疫チェックポイント阻害薬が、治療効果予測の点でも効果そのものの点でも、周術期補助療法の主役となった感があるからです。
術前補助がん薬物療法、術後補助がん薬物療法と少し包括的な呼称にした方が誤解が少ないように思います。
また、いまさらながらERCC1のような予測因子を用いて、プラチナ併用周術期がん薬物療法を省略できないか検討することも、患者さんの負担軽減という意味で望ましいように思います。
すっかり話がそれてしまいました。
いま、私のもとには胸腔ドレナージに関する流れが来ています。
先日はがん性胸膜炎の患者さんに対するタルク胸膜癒着術を行い、幸い病状が安定しました。
今回は肺がん患者さんの難治性気胸のお話です。
EGFR遺伝子変異陽性右上葉肺腺がんに対しオシメルチニブでの治療歴がある方ですが、もともと脳出血・脳梗塞後遺症と高度肺気腫がありPS 3-4相当、ほぼ全介助で車いす、施設で生活していた方でした。
QT延長と下痢のため、オシメルチニブは継続不能となり、幸いがん関連症状がないため無治療経過観察の方針となっています。
昨年末に他疾患で入院され、そちらは短期間で軽快したのですが、院内クラスターに巻き込まれる形で新型コロナウイルス感染症に罹患し、その後は脳梗塞後遺症に対して定期内服していたアマンタジンによる悪性症候群に見舞われるやら、誤嚥性肺炎を繰り返すやらして、先の見通しが立たない状態が続いていました。
4月に入ったある朝、突然高度の呼吸不全に陥りました。
痰詰まりかと思って緊急気管支鏡を行うも下気道の気道分泌物は少なく、しっかり開通しています。
胸部レントゲンを撮影したところ、右自然気胸を合併し、右肺が高度に虚脱していました。
CTで確認すると、右上葉のがん病巣は以前より拡大し、その末梢の肺は虚脱していますが、胸膜直下の部分には空胞状に見える部分がいくつかあり、ここが破綻して気胸を起こした可能性があります。
早速右第3肋骨上縁から太さ12fr.(4mm)のアスピレーションキットを挿入して急場をしのぎましたが、気漏が多く、皮下気腫が拡大するばかりです。
アスピレーションキットでは脱気が追い付かないと判断し、太さ20fr.(7mm)のトロッカーカテーテルに入れ替えました。
追って淡黄色の胸水が少しずつ出始めて、がん病巣が破綻してがん性胸膜炎に陥っていたら難治性になりそうだなと心配しましたが、幸い細胞診ではがん細胞は検出されず、好酸球主体の像だったため、一般の自然気胸に近い所見でした。
5日間ほど待ちましたが、一向に収まる気配がありません。
脱気だけでは治癒の見通しがつかないため、胸膜癒着術を行う前提で、同じく20fr.のダブルルーメン(二層式)トロッカーカテーテルに入れ替えました。
さて、どんな方法で癒着術をしようか思案しました。
胸膜をまんべんなく癒着させようと思ったら仰臥位、両側臥位、伏臥位、座位としっかり体位変換をしなければなりませんが、今回は患者さんが寝たきり状態なのでそう簡単にはいきません。
また、がん性胸水に対する胸膜癒着術とは異なり、脱気をしながら並行して癒着術を行わなければならないため、不用意にカテーテルをクランプ(閉鎖)することができません。
思案の挙句、今回は50%糖液を用いた胸膜癒着術を行うことにしました。
1)トロッカーカテーテルからチェストドレーンバッグまでの排液チューブを延長します(1.5m前後がいいでしょう)
2)延長した排液チューブを、点滴スタンドを利用して吊り上げます
3)ダブルルーメントロッカーカテーテルのサブルーメンから1%キシロカイン10mlを注入します
4)同じくサブルーメンから、50%糖液200mlを注入します
5)できる範囲で患者に体位変換してもらいます
難治性気胸の胸膜癒着術では、この排液チューブつり上げが特徴的です。
癒着を進めるためには、接着剤の役割を果たす胸水が胸腔内から出てきては効果が期待できません。
排液チューブを吊り上げることで極力胸水を胸腔内に留めつつ、胸腔内に漏れた空気だけを排気するという、よく考えられた治療法です。
しかし、今回の患者さんではやや勝手が違いました。
高度の肺気腫に加え、右肺上葉が肺がんにより半分くらい無気肺に陥っていて、高度の低酸素血症を伴っています。
排液チューブ内に一定程度の胸水が溜まると排気ができなくなり、気胸が悪化して呼吸状態が悪くなります。
そのため、呼吸状態を見ながら排液チューブを釣り上げては解除、吊り上げては解除を余儀なくされました。
さらに、50%糖液による胸水誘導効果が予想よりも強く、胸腔内に注入した液量を差し引いても半日程度で1,500ml程度の胸水が出てきました。
この胸水が接着剤になるわけですからやむを得ないのですが、その分だけ点滴を調整しなければなりません。
たかが50%糖液と侮ってはならず、全身管理が前提の治療であるとの認識が必要です。
それでうまく行ったかというと・・・右肺上葉の一部に癒着効果が得られ、一旦は気胸を脱し、ドレーン抜去に至りました。
その2日後に再虚脱し、ドレーンを再留置して現在に至ります。
なかなか十分な肺の再膨張が得られず、次の癒着術をどうするか思案中です。