・みんな、初診時の胸部レントゲン写真くらい、ちゃんと撮ろうよ

f:id:tak-OHP:20220327003244j:plain

 ここ数年というもの、ずっと感じていることがあります。

 CTを撮影しても、胸部レントゲン写真を撮影しない医師が多くなりました。

 別に、風邪をひいて受診した患者さん全員に胸部レントゲン写真を撮ろうと言っているわけではありません。

 しかし、肺がんの疑いがある患者さんを診療しようというのに、胸部レントゲン写真の1枚すら撮影しないのはいかがなものでしょうか。

 

 私は20世紀末に医師になりましたが、胸部レントゲン写真ひとつにしても、技術革新のただなかを生きてきました。

 医師になりたての頃は、胸部レントゲン写真は「シャウカステンにフィルムを掲げて」見るものでした。

 当時、CTはすでに普及していましたが、まだ高精細のHRCT(high resolution CT、もはや死語かも)の黎明期にありました。

 研修医の頃は、丈夫なボール紙で作られた重たいフィルム袋を、患者さんの数だけ抱えてカンファレンスルームに赴いていたものです。

 

 胸部レントゲン読影技術というのは、徒弟制度のもと、実地で先輩に教わらないと身につきにくい技術です。

 茶道のお手前のように、胸部レントゲン写真を正しく読影するための手順があります。

 「そもそも、この胸部レントゲン写真は適正に撮影されたものか」

というところから始めなければなりません。

 適正な条件で撮影されていなければ、放射線部に再撮影を依頼します。

 そのくらい、読影の質にこだわるように教わりました。

 そうでなければ、お金を負担している患者さんや日本国民に対して顔向けできません。

 

 宮崎の病院に勤務していたころ、放射線科医の副院長先生は、一般内科医としても業務をこなしておられました。

 胸部レントゲン写真1枚に30分もかけて丁寧に読影する先生でした。

 こんなペースで診療が回るわけないじゃん、と外来看護師さんはいつもこぼしていました。

 そのくらい、昔気質のエキスパートは、胸部レントゲン写真1枚を読影するのにも全身全霊を傾けていたのです。

 

 今となっては、全ての放射線検査画像が、モニター上で見るものとなりました。

 読影に適正な写真のサイズ、というものを、果たしてどれくらいの医師が意識しながら仕事をしているでしょうか。

 胸部レントゲン写真の微妙なニュアンスというものは、モニターでは到底表現しきれないだろうと、私は思っています。

 修業時代に部長のN先生から直接胸部レントゲン写真の読影をご教示いただけたのは、得難い経験でした。

 夜な夜な画像読影室で落ち合って、シャウカステンの光に照らされながら部長と二人きりでその日の画像について議論する、そんな日々でした。 

 

 胸部レントゲン写真一枚で、肺がんの進行期と診断できることもあります。

 胸水貯留を伴っているとか、明らかな両側肺転移を認めるとかなら、誰でもわかります。

 私がシビれたのは、末梢の孤立結節影のみで、リンパ節腫大や胸水の所見もない写真を見て、N先生が進行期肺がんと断言したときでした。

 「ほら、見てごらん、ここの肋骨の輪郭が見えなくなってるでしょ。こりゃ溶骨性の骨転移だよ。残念だけど、進行期だね。」

とのこと。

 後日CTを撮影したところ、果たして当の肋骨には溶骨性骨転移がありました。

 

 肺がん診療において、胸部レントゲン写真というのは、その患者さんの病状のありよう、進行の様を雄弁に物語ります。

 過去の写真との比較をしながら経過説明をするにあたって、患者さん・ご家族にとってはCTよりも遥かに分かりやすいです。

 そして、初診時の胸部レントゲン写真というのは、まさにそのときに撮っておかないと取り返しがつきません。

 検査や治療のために変化が加わると、もともと初診時はどうだったのか、ということが検証できなくなります。

 経過の早い肺癌なら、初診からたった2週間経過でも、初診時とガラッと変わった雰囲気になっていることは十二分にあり得ます。

 一定の肺がん診療経験のある臨床医なら、誰しも心当たりがあるでしょう。

 

 無駄な放射線被爆を避けたい、というのなら、胸部レントゲン撮影よりも、無駄なCT撮影を減らすべきです。

 長期にわたりCTのみで経過観察されている肺がん患者さんを診ていると、本当にそう思います。