・診断がつかないことの喜び

 

 われわれ医師の仕事というのは不思議なもので、成果が得られずにかえって感謝されたり、安堵されたりすることがあります。

 

 肺がんを疑う臨床経過はいろいろとあるのですが、代表的なもののひとつに、「なかなか治らない肺炎」があります。

 症状、血液検査所見、レントゲン・CT所見を見ると明らかに肺炎なのに、よく見ると所属リンパ節が腫れています。

 抗生物質を使って治療するが、なかなか症状が改善しません。

 症状や血液検査所見が改善しても、レントゲン・CTの所見が改善しません。

 こうしたときに、私の頭の中では警報音が絶えず鳴り続けます。

 警報音に我慢できなくなったら、患者さんに精査を勧めることになります。

 

 よくあるパターンは、主要気管支の内部にできた腫瘤により、その先の肺に閉塞性肺炎や無気肺を起こしたときです。

 私が若いころ、上司からは以下のように指導されました。

 「治りの悪い肺炎を見かけたら、必ず一度は気管支鏡検査をしておきなさい」

 確かにその通りで、この指導のおかげで助けられたことが何度もあります。

 もっとも、最近はCT検査の精度が向上したため、主要気管支内部の腫瘤はある程度CTで検出可能なので、20年前よりは上記金言のご利益は下がっているかもしれません。

 

 ちょっと主題から外れますが、この上司についてはこんな逸話があります。

 上司はもともと地方都市で所属大学の関連病院に勤めていたのですが、尊敬する師から呼び寄せられて、関連病院の中では最も遠方、県外のある町の結核療養所に赴任しました。

 その「師」はのちに血液疾患に罹患して退職し、やがて鬼籍に入るのですが、上司はその薫陶を継承し、その結核療養所に長く留まり、地域医療に大きく貢献しました。

 ここで上司とともに働いたのはわずか1年間でしたが、入院・外来ともに夥しい数の患者を担当しておられ、その中にはほかに引受先もないような難しい患者さんも多数含まれているうえに、私が赴任した当時は養護施設内部で集団発生した結核患者さんの対応に追われていました。

 私も1−2人はそうした集団発生の患者さんを担当したのですが、それはそれは大変でした。

 飄々と業務をこなす上司を見て、よくこういう働き方ができるものだと舌を巻いたものですし、かっこいいなあと憧れました。

 

 この病院を去る1−2か月前、上司に呼ばれてカンファレンスルームに赴いたところ、そこには大量のレントゲン写真がありました。

 「どうしたんですか?このレントゲン写真は?」

と伺うと、

 「これはね、○○先生から私が引き継いだものなんだよ」

 「代表的な呼吸器疾患とそのレントゲン、一部はCTのフィルムが、疾患ごとにファイルされている」

 「きみももうすぐこの病院から異動するから、知識だけでも共有して、できることならきみの後進にも伝えてもらおうと思ってね」

とのこと。

 当時、私は所属大学から郷里の大学に転籍することが決まっていたのですが、いわば自分の仲間うちではなくなる若手に対して、多忙な業務の合間を縫って師と自らの知識と経験を私に伝えようとしてくださったわけです。

 そのご厚情には、いま思い出しても涙がにじみます。

 どんなに教科書を読んでも、ネット情報を網羅しても、こうした生の経験の伝承・口承には代えがたいものです。

 古臭いと言われるかもしれませんが、われわれの業界にもこうした徒弟制度の義理人情が、確かに存在しました。

 私はもはや若手医師を指導する立場ではなくなったのですが、果たしてどれだけ上司のご厚情に応えられたでしょうか・・・。

 

 話を元に戻します。

 先だって、こんなことがありました。

 生活習慣病の管理のため、一般内科を定期受診していた患者さん。

 このところ呼吸器症状が続くということでレントゲン、CTを撮影したところ、左肺に広範な肺炎像を認めました。

 新型コロナウイルス感染かもしれない、肺炎で入院が必要かもしれないということで、私に相談がありました。

 診察してみると、本人は単なる風邪くらいに考えていて、全く重症感がありません。

 重症感がない患者の広範な肺炎像、ご丁寧に周辺の縦隔リンパ節まで腫れているということで、早速私の頭の中では警報音が鳴り響き始めました。

 血液検査をしても一般感冒程度の炎症所見しかありません。

 型のごとく新型コロナウイルスPCR検査を行った上で、結果が出るまで内服治療で自宅待機するように指示しました。

 結局PCR検査は陰性で、そのまま肺炎として外来内服治療を継続することになりました。

 

 その後、約10日間の外来治療で血液検査上の炎症所見は改善しました。

 しかし、呼吸器症状はそのまま続き、レントゲンの所見は全くと言っていいほど改善しません。

 あれこれ思いを巡らせていると、患者さんがこのように話し始めました。

 「妻は膠原病を患っていたが、原発性肺がんを合併して、数年前に他界した」

 「今は男やもめの一人暮らし、自分なりに食生活その他に気をつけながら猫と一緒に暮らしている」

 「たばこは若いころから今日に至るまで、ずっと吸い続けている」

 「まさか肺がんということはないですよね」

 ・・・いやいや、あり得ます。

 

 後日ご家族とともに来院いただき、あれこれと相談したうえで、原因検索のために気管支鏡をしよう、ということになりました。

 当院では、経気管支肺生検は原則入院で行っています、とお伝えすると、愛猫はご家族があずかってくださるとのこと。

 それでは、ということで気管支鏡検査を行いました。

 

 結核菌塗抹検査陰性、ブラシ細胞診陰性、気管支洗浄細胞診陰性。

 結果説明予定日の前日になっても生検病理診断報告書が返ってこず、やきもきしました。

 ようやく当日になって確認できた報告書には、「肺炎です」。

 肺胞の破壊、好中球や肺胞マクロファージの増生、未熟な線維化所見はあるものの、悪性を示唆する所見はないとのこと。

 果たして、説明当日に撮影した胸部レントゲン写真では、肺炎像の範囲は変わらないものの濃度は若干薄くなっており、内部の血管・気管支陰影が透見できるようになっていました。

 

 「すみません、私がいろいろ騒いで、合併症のリスクを冒してまで精密検査させていただいたのですが、結果は「肺炎」でした」

 「肺炎は病状が改善しても、影が消える、ないしは跡形になって落ち着くまでにかなり時間がかかることもあるんです」

 「落ち着くまで、私が責任もって定期診療させていただきます」

と平謝りです。

 

 しかし、冒頭に記したように、こんな時は叱責されるよりは感謝されたり、安堵されることがほとんどです。

 「ほらね、私ァ最初からがんじゃないと思う、って言ったじゃん」

と患者さんはドヤ顔です。

 ご家族は、

 「あー、本当によかった!」

 「安心できました!」

 「ありがとうございました!」

と安堵と感謝しきりです。

 私はと言えば、お決まりのように、

 「考えようによっては、きちんと精密検査をし、本日のレントゲンで若干の所見改善も確認できたので、ここから先は気持ちの余裕をもって経過観察することができます」

 「肺炎の経過としては非典型的で、天国の奥さんが体に気をつけなさいよ、とメッセージを発しているのかもしれません」

 「長く喫煙されていることもあり、私も十分観察したつもりですが、のどや声門に喉頭がんの所見がないか、一度耳鼻咽喉科にも相談しておくと万全でしょう」

 「今後のあなたの人生のため、お子さんを安心させるために、この機会に禁煙していただけたら、私も大騒ぎをした甲斐があったと思えます」

とお伝えしました。

 

 結果説明終了後、それではまた次回レントゲン・CT撮影時に、と送り出したところ、患者さん本人から、

 「肺炎の影が消えても、その後の診察は引き続き先生にお願いするわ」

とのこと。

 なにが患者さんからの信頼につながるか、わからないものです。