・進行前立腺がんに肺がんを合併した高齢患者さん

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 結核性胸膜炎、一過性脳虚血発作、肺炎球菌性肺炎の既往がある患者さんでした。

 ご家族から顔色が悪いと言われ、かかりつけのクリニックを受診しました。

 酸素欠乏を伴う肺炎を指摘され、私のところにお越しになりました。

 

 筋金入りの重喫煙者です。

 1日20-30本、70年来の喫煙歴です。

 毎晩焼酎もたしなんでおられました。

 

 初診時、37度台後半の発熱とSpO2 90%前後の酸素欠乏がありました。

 胸部聴診では、息を吐くときに雑音が聞こえました。

 粘っこく黄色い痰を出しておられました。

 血液検査では白血球、CRPといった炎症反応の上昇とともに、アルカリフォスファターゼ(ALP)が高値を示していました。また、前立腺特異抗原(PSA)を測定したところ、約1800と著明に上昇していました。

 胸部レントゲンでは右肺の上の方に異常陰影を認めました。

 胸部CTでは右肺上葉に40mm大の腫瘤を認め、その末梢側にも淡い陰影が広がっていました。

 

 今の私なら、以下のように考えます。

#1 #2による右肺上葉の閉塞性肺炎

#2 右肺上葉の原発性肺がん疑い

#3 前立腺がん疑い

#4 #2もしくは#3による多発骨転移の疑い

 

 しかし、当時の私は肺炎の治療までしかせず、約3週間の入院治療、泌尿器科への紹介のみで、入院中に#2の精査を行わずに外来で経過を見る判断をしました。

 初診から2か月後、右肺上葉の腫瘤は50mm大まで増大したため、気管支鏡検査のため再入院して頂きました。

 気管支鏡を行ったところ、右肺上葉の腫瘤につながる気管支は高度に狭窄していました。残念なことに当時の私はその狭窄部分でのブラッシングと生検しか行わず、腫瘤本体へのアプローチは行いませんでした。生検を行うにあたり、可能な限り原発巣にアプローチするのは鉄則で、当時の私はそこをわきまえていませんでした。結果として、診断につながる結果を何も得られずに終わりました。

 情けないことに、2回目の気管支鏡検査でも診断ができず、もたもたしているうちに腫瘤が隣接する縦郭リンパ節や肋骨にまで浸潤が疑われる状態になり、肋骨付近の痛みが出てきました。

 初診から4ヶ月後、3回目の気管支鏡検査を行いました。この時点で腫瘤は80mm大まで増大し、腫瘤中心部は壊死を来し、腫瘤辺縁部は食道・気管に直接接し、周囲にはがん性リンパ管症の所見が出現していました。出血のコントロールに難渋しましたが、腫瘤本体と狭窄した気管支の2ヶ所で生検を行い、ようやく非小細胞肺がんと診断がつきました。

 退院の3日後、両足が動かなくなったとのことで患者さんが救急受診しました。ほとんど両脚を動かせない状態で、診察上はみぞおちよりも下で全体に感覚障害、運動障害を認めました。前立腺がんの胸椎転移悪化による脊髄障害を疑いましたが、泌尿器科医によるとホルモン療法で前立腺特異抗原は順調に改善していたので、骨転移だけ悪化するというのは俄かには信じがたい、とのことでした。多発骨転移は、実際には前立腺癌からではなくて、肺癌からの転移だったのかもしれません。

 ご本人、ご家族と相談した結果、積極的治療は行わずに終末期ケアを行うことになりました。入院の上、高カルシウム血症に対してエルシトニンを投与、膀胱直腸障害に対するケア、医療用麻薬を用いた疼痛緩和を行いました。できるだけ自宅で過ごしたいと本人は希望されましたが、肺癌の進行や終日臥床に伴う無気肺のために呼吸状態が日に日に悪化し、初診から5ヶ月強でお亡くなりになりました。

 

・高齢

・重喫煙者

・肺癌・前立腺癌の同時重複

・肺癌の進行が速い

・勤め先に放射線治療設備がない

といった難しい状況はありましたが、反省点はいくつもあります。

 

・迅速な診断

・診療初期での、診療科横断的なキャンサーボードでの治療方針策定

放射線治療可能な施設への早めの紹介

・早期からの疼痛管理

 

 一方、当時は以下の診療はできませんでした。

・MSコンチン以外の徐放性麻薬使用

・デノスマブ、ゾレドロン酸といった骨転移用薬物療法

・バイオマーカー検索

・免疫チェックポイント阻害薬

・分子標的薬

前立腺癌に対するホルモン療法以外の治療薬

 

 この患者さんは骨転移の進行により大きく生活の質を損なう結果になってしまいました。

 脊椎転移による横断性脊髄障害、それに伴う対麻痺・膀胱直腸障害、その後に待ち受ける反復性肺炎、難治性褥瘡などは非常に難しい問題です。

 脊椎転移を発見した段階で、早めに(脊椎転移への対応に習熟した)整形外科医や放射線治療医に相談するのが吉です。