スタッフが流す涙

 先日、「がんと老衰」という記事を書いた。

http://oitahaiganpractice.junglekouen.com/e968813.html

 2件目に扱った90歳過ぎの女性も、結局この記事を書いた翌日に永眠された。

 例によって、私と看護スタッフ、リハビリスタッフ、医療ソーシャルワーカーが集まって、フェアウェル・カンファレンスを行った。

 私からは

・患者が夫と二人で暮らしていたこと

・15年前に夫に先立たれてから一人暮らしをしていたこと

・徐々に認知症が進み独居生活ができなくなったこと

・5年前から息子さん夫婦と同居していたこと

・息子さんは本人の病状経過を「これからリハビリをして元気になるだろう、なってほしい」と楽観的に捉えていたこと

・お嫁さんは「これまでの経過を見て、意思疎通もできない高度の認知症と治療適応のない進行胃癌、慢性腎不全を抱えた義母が元気になるわけがない」と現実を見据えていたこと

・主治医としては、この病状で、経鼻栄養を維持するために身体抑制を続けながら経管栄養を継続するのは心が痛んだが、リハビリ継続のためにやむを得ず栄養継続したこと

・病状が悪化してからは、少しでも本人の苦痛をとるために、経鼻胃管を抜いて、身体抑制を解除したこと

・この方にリハビリや経管栄養をすることが、医学的にも倫理的にも意味があることだったのか、今でも悩んでいること

・かといって、リハビリ適応がないからと転院受け入れを断るのは、急性期病院の立場を考えると忍びなかったこと

・リハビリ継続のために転院してきた当院で、いきなり終末期医療に舵を切る決断ができなかったこと

などを話した。

 リハビリのスタッフは口をそろえて、短期間の介入で、しかも本人との意思疎通はほとんどはかれず、何もしてあげられなかったと話していた。

 そして、看護スタッフが話し始めるのを聞いて、参加していた誰もが絶句した。

 まだキャリアの浅いスタッフだが、意思疎通もできなかった患者を思い起こして、A4の用紙にまとめた思いの丈を、しゃくりあげながら語り始めた。

・意思疎通はほとんどできなかった

・事故防止のためにやむを得ず身体抑制を継続していたが、身体抑制が解除できないかユニット会議で絶えず話し合い続けた

・2時間ごとの体位変換、経管栄養により際限なく続く下痢の対処、褥瘡予防のスキンケア、その他の介入を一所懸命に続けた

・全部本人のためにと思ってやってきたが、病状が悪化したときに経鼻胃管も抑制も解除して、その時になって初めて、本人の眉間に寄っていた深いしわがなくなり、優しい表情になって最期を迎えた

・病状悪化時、主治医から説明があったとき、まだ息子さんが治療に希望を持っているのを感じた

・主治医はこれ以上無理な治療をして苦しませない方がいい、自然な形で見守ってあげた方がいいと言っていたが、息子さんの立場になってみれば、もう少し粘り強く治療してあげてもよかったんじゃないかと思った

 その場に重苦しい沈黙が漂った。

 険悪な、という意味ではなく、ああ、この人は、意思疎通もできなかったこの患者さんのために、こんなに溢れるような気持ちを抱いてくれていたんだなあと、そんな思いに浸るような雰囲気が漂っていた。

 思わず、私の頭をよぎったのは、「悪いニュースの伝え方:SPIKES」の「E」だった。

 別に悪いニュースを伝えているわけでもないし、目の前にいるのは患者でも家族でもなく、ともに働くスタッフなのだが、グリーフケアをしている気分になった。

http://oitahaiganpractice.junglekouen.com/e355848.html

http://oitahaiganpractice.junglekouen.com/e534618.html

 しばしの沈黙ののち、私から看護スタッフに問いかけた。

 「私も最善の治療ができたとは思っていなくて、冒頭にお伝えしたように今でも悩んでいます」

 「私は肺がんの内科診療を専門分野としてきただけに、どうしてもこの患者さんのような方を見ると、緩和医療的・終末期医療的な立場で物事を考えてしまいます」

 「進行期肺がんの内科診療と比べて、認知症高齢者の医療が難しいのは、ときに本人の意向が確認できないということです」

 「今回の患者さんの経過を振り返って、あなたは経管栄養の継続を含めて、最大限できる治療を続けることと、最後の一時期のように医療行為を中止して、安らかに最期を迎えて頂くことと、どちらが本人が幸せだと思いますか?」

 その看護スタッフは、しばし考えたのち、本人の表情を見ていたら、やはり最後のひと時の方が幸せだったように思うと答えた。

 

 その後、私からは以下のようにお話をした。

・我々医療者の不文律としてよく言われることに、"First, do no harm."という言葉がある

・治療云々を語る前に、まず医療行為によって患者が不利益を被らないようにしなければならない

・不利益は受け取る側にとっても変わり得るけれど、まずは本人が不利益と感じるかどうかが大事だろう

・今回のこの方の病状で、経鼻経管栄養による延命・それに伴う長期の身体抑制は、私は"harm"だったと思い、反省している

・どれが"harm"で、どれが"treatment"なのかは、患者や家族を診ながら、その都度判断していくしかない

・誰もが認める「正解の診療」なんて、そもそもどこにもない

・進行期肺がんの患者の診療では、いつまで"harm"となり得る積極的治療をして、いつから患者の苦痛緩和を唯一の判断基準とする支持療法期に移行するべきか、絶えず考えている

・これからもみんなで知恵を出し合いながら、より医療の質を高めていきたい

 たくさん患者を診ていると、やがて麻痺してしまいがちな、初めて担当患者をこの手で看取ったときの気持ちを、今日のフェアウェル・カンファレンスは取り戻させてくれた。

 社会人になって私が最初に看取った患者は、胸水貯留に苦しむ80代前半の、自動車修理工場経営者の進行期肺がん患者だった。

 いろいろなことを教えてもらった。

 多職種で集まってカンファレンスを行うとよい知恵が出ることが多いが、多職種フェアウェル・カンファレンスは、知恵だけではなくて感情や経験を共有できる、という意味で、とても意義のある取り組みだと思う。