・多分、ドライバー遺伝子変異陽性だっただろう20年前の患者さんの話

 ここ1年くらいで、仕事がらみの断捨離を進めています。

 若いころには、自分が経験した患者さんのことをのちに振り返れるようにと入院病歴要約を保管していましたが、完全にお蔵入りで全く手をつけませんでした。

 紙媒体とはいえ、個人情報の塊が自分の手元に残っていて、廃棄しないままに自分自身に万が一のことがあったらと思うと恐ろしくてなりません。

 暇を見つけてはシュレッダーにかけています。

 

 とは言え、肺がん患者さんの要約を見つけると、どうしても読みふけってしまいます。

 長い時を経て読み返してみると、あぁ、自分なりに真摯に診療をしてたんだな、丁寧に所見を確認しているな、でも本質を見逃しているな、と反省ばかりしています。

 今回取り上げる患者さんも、今ならまず負担の少ない画像診断をして、胃カメラよりも気管支鏡検査を優先して、ドライバー遺伝子検索をして、ガンマナイフやら姑息的脊椎照射よりも真っ先に分子標的薬を使ってたんじゃないかなあ、と思います。

 

 病歴要約を読みながら、患者さん目線で想像しながら記録をまとめ直してみました。

 なお、当時は研修医身分で年度末には他の施設へ異動したため、その後の経過はうかがい知れません。

 

 

 

 

 タバコを吸ったことはありません。

 お酒はときどきたしなむ程度です。

 これまで、若いころに患った肺結核のほか、骨粗鬆症胃潰瘍、高コレステロール血症と言われたことがあります。

 父は脳梗塞、母は膵がん、弟は胃がんと肝臓がんを患い、今考えれば母方の血筋は癌家系のように思います。

 X年10月中旬から吐き気、頭痛、食欲不振、全身倦怠感、血痰が出始めました。

 近所のクリニックを受診して、内服薬を処方してもらったり、点滴をしてもらったりしましたが症状が続きました。

 X年11月はじめに総合病院の呼吸器内科を受診し、胃腸の症状が目立つからとのことで胃カメラと腹部エコー検査を受けましたが、はっきりとした原因は見つかりませんでした。

 あわせて胸部レントゲン写真、CT写真を撮影したところ、左下肺に「かげ」があると言われ、精密検査のため月末に入院しました。のちに担当の先生から伺ったところでは、他にもたくさん小さな粒状の影が肺にあったそうです。

 病気の診断のために必要だからと言われ、肺のカメラの検査を受けました。咳は出るし、息苦しいしで、胃カメラとは別のきつさがありました。カメラの検査後と、あくる日の朝には検査に出すために痰をとってほしいといわれ、その通りにしました。

 そのほかにも、放射線科でたくさん検査を受けました。

 

 入院から2週間ほどたって、病院に家族が呼び出され、一緒に担当の先生の説明を受けました。だいたい以下のような内容だったと思います。

・左下肺の「かげ」を詳しく調べたところ、「できもの」でした

・「できもの」の細胞の一部が脳や背骨にも飛び火していることがわかりました

・肺の病変に関わる症状はいまのところおちついていて、すぐに治療に取り掛かる必要はありません

・脳や背骨の飛び火については、早晩なにかの神経症状が現れる可能性があります

・脳や背骨は早めに治療した方がいいでしょう

・脳の病変は小さいのですが症状が現れたら厄介なので、最優先で治療しましょう

・隣町の病院でガンマナイフという特殊な放射線治療が受けられるように手配します

・ガンマナイフの治療は3日間程度で終わります

・それが終わったらこちらに帰ってきていただいて、今度は脊椎の病変に放射線の治療をしましょう

 

 私も家族も素人ですから、担当の先生のお勧めの通りにしました。

 ガンマナイフという治療は、1日で終わるものの大変な治療でした。

 大きな金属製のヘルメットを頭蓋骨に直接ボルトで固定されます。

 いくら麻酔をするとは言え、自分の頭蓋骨に生きたままボルトをねじ込まれるのですから気持ちのいいものではありません。

 その状態で、5時間ほどずっと治療装置の中に寝かされて、ただただ早く終わってほしいと待ちわびるばかりでした。

 

 ガンマナイフが終わって元の病院に帰ってきたら、今度は背骨への放射線治療です。

 こちらは1回あたりの時間こそ短いですが、3週間ほどかかりました。

 

 脳や背骨への治療はそれで納得できたのですが、おおもとである肺の病変には何もできていないのが腑に落ちませんでした。

 担当の先生に、「肺の病変に対する治療は何もないのですか?」と伺いました。

 そばで聞いていた家族は何とも言えないそぶりをしていましたが、担当の先生は、

 「あなたがもし希望されるのであれば、点滴の治療を試してみることはできますよ」

と言われたので、できる治療があるのなら、ということで試しにやってもらうことにしました。

 やってみてから初めてわかることですので仕方ありませんけれど、ガンマナイフよりもさらに大変な治療でした。

 最初の1週間はずっと点滴です。

 初日の点滴がことにつらく、とにかく点滴の量が多くて、その分おしっこも多くて、ずっとトイレに行ったり来たりでした。

 2日目からはひどい吐き気に襲われて、食事はおろかお水も喉を通りません。

 5日ほどたって、ようやく少し食べ物を口にできるようになりました。

 1週間目にようやく点滴を外してもらえました。

 そろそろ2週間、というころになって、血液検査の結果に異常が出始めました。

 白血球が極端に少なくなったそうで、担当の先生に言われるがままに毎日腕に小さな注射を打ってもらいました。

 4-5日打ったところで血液検査結果が回復したそうで、ようやく1回目の治療が終わりました。

 入院したまま、こうした治療をだいたい月に1回、3回ほど繰り返して、X+1年の3月にようやく退院できました。

 担当の先生によると、左下肺の影はいくらか小さくなったものの、他の小さな影が増えてしまったそうで、いったん退院して体力を整えてから次の治療を考えましょう、ということでした。

 いつのまにか、先生は「できもの」のことを「悪性のできもの」と話すようになっていました。ああ、「肺がん」って言いたくないんだな、って、わかってはいましたけどね。

 あとから家族に聞いたところ、

 「診断名を聞いた後、先生には本人が希望を失わないような説明をしてほしい、がんや悪性といった表現は避けて、肺のできものから細胞が脳や背骨に飛んでいて、治療が必要だと話してほしい、とお願いした」

って言ってました。母や弟をがんで看取ったからそれなりに覚悟はあったんだけど、子供たちも私のことを心配して先生にお願いしてくれたんだから、仕方ないね。

 

 

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 この方は前立腺がん末期の方でした。

 もう少し上手に終末期医療ができたんじゃないかなあと思い返します。

oitahaiganpractice.hatenablog.com