気管支カメラと胃カメラの両方を試みなければならないことがときにあります。
患者さんが口から血をはきだしているとき、それがどこから来ているのか知りたいときです。
口の中か。
鼻からか。
喉からか。
気管・気管支からか。
あるいは食道や胃、十二指腸からか。
鼻の穴から、あるいは口の中から見える範囲に出血源があればともかくも、直視できない喉や気管・気管支、食道・胃・十二指腸であれば、カメラで調べざるを得ません。
私は呼吸器内科医なので、どちらか選んで先にやれ、と言われたら、ためらわずに気管支カメラを選びます。
以前担当していた患者さんで、こんな出来事がありました。
パーキンソン病が進行した患者さんで、奥さんの介護のもとで自宅で生活しておられましたが、ほぼほぼ寝たきりでした。
誤嚥性肺炎の治療後、奥さんの介護負担を少しでも減らすためのリハビリ目的で入院しておられました。
ある日のこと、黒いウンチが出て、血液検査をしてみると明らかに貧血が進行していました。
胃潰瘍・十二指腸潰瘍、あるいは胃がんといった病変からの出血を疑い、消化器内科の先生にお願いして胃カメラをしていただきました。
出血性胃潰瘍が明らかとなり、止血処置を施していただいてそちらは事なきを得たのですが・・・。
胃カメラ中に胃のなかみを嘔吐して、それを誤嚥して、検査中に呼吸不全に陥りました。
結局この患者さんは、このときの誤嚥性肺炎から完全には立ち直れずに、亡くなってしまいました。
こうした経験があるので、要介護状態の患者さん、それも誤嚥性肺炎を起こしたことがある患者さんには、私の場合とても慎重になります。
今日の出来事はこんな感じでした。
多発脳梗塞で認知機能は低下、不全片麻痺があり、要介護状態の患者さんです。
肺気腫を合併しているとともに、複数回の誤嚥性肺炎の既往があります。
加えて、以前からEGFR遺伝子変異陽性肺腺がんを指摘されていたのですが、オシメルチニブを用いたところ下痢と不整脈が出現して継続できなくなり、以後は無治療経過観察の方針となっていました。
そのため、病巣は徐々に大きくなりつつあり、CT上は病巣が中枢気管支に接する位置まで迫ってきていました。
今後急変した際には、大きな負担がかかる救急救命措置(人工呼吸、心マッサージ、AED)は行わない、というお約束をご家族と交わしています。
そうした患者さんが、つい先日コーヒー残渣様の黒い吐物を吐きました。
血液検査をすると、明らかに貧血が進んでいます。
まず間違いなく胃や十二指腸からの出血だろうと考えましたが、不用意に胃カメラをすると以前の患者さんと同じ轍を踏みかねないと考え、絶食、止血薬を含む点滴、抗潰瘍薬の静脈注射で経過を見ることにしました。
すると今日になって、血の塊が口から喉にかけてかなりこびりついていて、患者さんの息遣いがおかしいと病棟から連絡がありました。
出勤して診察してみると、確かにおかしな息遣いで、ときおり苦しそうに咳をしています。
詳しく状況を聞くと、酸素欠乏の悪化こそないとはいえ、昨夜から呻くような声を上げるようになり、同じ部屋に入院していた患者さんが眠れないと苦情を訴えていたそうです。
病棟スタッフができる限り取り除いてくれたおかげで、鼻の中や口の中には血の塊はなくなっており、見える範囲に出血源はなさそうでした。
いろいろと思い悩みましたが、明らかに昨日の昼までとは異なる息遣いです。
奥さんに来院していただいて状況を説明したところ、できるだけの処置は試みてほしい、ということでしたので、万一処置中に病状が悪化しても以前の取り決めに従えば救命処置は行い難いがそれでもいいですか、と念を押して、処置を始めました。
それにしても、救命処置が行えない、という足かせの中、万が一にも万一のことがあってはなりません。
緊張感で頭がくらくらしながらも、まずは気管支カメラを始めました。
局所麻酔処置をして、少量の医療用麻薬を注射して、まずは気管支カメラ補助下で気管内挿管をして、嘔吐しても誤嚥しないように対策をしました。
そして気管・気管支の観察を始めたわけですが、早速困ったものを見つけました。
気管分岐部から左右の主気管支にまたがるように、大きな凝血塊が横たわっています。
右主気管支はまだ1/3ほど開通していましたが、左主気管支は遠目には奥が見えませんでした。
気管支カメラで吸引したところ、幸いすべて取り除くことができました。
気管支カメラをせずにそのままにしていたら、夜中にどんなことになっていたか、と想像すると背中に冷たい汗が流れます。
その後は気管・気管支をくまなく観察して回りましたが、明らかな出血源を認めず、気管支カメラは終了しました。
続いて、気管内挿管は維持したままで、胃カメラに移ります。
胃カメラは随分と久しぶりです。
まだ20代のころ、某消化器病センターや某総合病院に勤めていた時分は2日に1回は胃カメラを握っていたものです。
昔取った杵柄よろしく検査を始めましたが、どうも勝手が違います。
食道から胃までを覗いても活動性の出血がないことは確認できましたが、胃潰瘍が多発する胃角部や前庭部、幽門輪がどんなに探しても見当たりません。
奥へ奥へと向かっていくと、狭くなったところからいきなり十二指腸の粘膜が現れて、左右二手に分かれています。
何度試みても同じような状況で、仕方がないので繰り返ししつこく見える範囲を観察しました。
十二指腸の粘膜が見えた部分の直前の胃粘膜に多数のタコいぼのような小さな潰瘍があり、そのうちの一つに小さな血の塊がこびりついていたことから、多発胃潰瘍からの出血があって、その一部が胃食道逆流を来して、更にその一部が口や喉にこびりついたり、あるいは気管内に入って気管分岐部を塞ぎかけたりした、ということだろうと理解しました。
処置を終えてからご家族に説明したところ、そういえば30代のころに十二指腸潰瘍で手術を受けたと本人が言っていた、とのことです。
その際に遠位胃切除+十二指腸部分切除を受けて、Bilroth II法で再建されたということだったのでしょう、ようやく合点がいきました。
どうにか大過なく処置を終えて、病棟に帰ってから気管内チューブを抜管し、事なきを得ました。
随分と呻くような呼吸は軽くなりました。
気管分岐部に巣食っていた血の塊が原因だったのでしょう。
こういうケースでは気管内挿管をしてから胃カメラをした方が安全だと頭ではわかっていても、実際には行いにくいものです。
気管内チューブの材料費も含め、気管内挿管はれっきとした医療行為であり、上記のようなケースでは安全な診療を行う上での妥当性があると思うのですが、以前同じような診療をした際には診療報酬請求をしても当局から認めてもらえず、査定対象となりました。
レントゲン写真では確認できないようなスリガラス状肺野小結節を「呼吸器内科専門医が」CTで定期検査しても、「レントゲン写真を前もって、あるいは同時に撮影していないから」という理由で査定されることもしばしばです。
真面目に頑張っていても報われないのは切ないです。