・お盆に親族が集まるということ



 1年ちょっとの膵がんとの闘病期間を経て、6月下旬に叔父が亡くなりました。

 大学病院の腫瘍内科でがん薬物療法を受けていたのですが、自宅で身動きが取れなくなって、私の勤め先に救急搬送されてきました。

 各種検査データから多臓器不全の状態にあり、CTでは膵臓はもはや原形を留めていませんでした。

 中部地方に住むいとこに何とか会わせてあげたかったのですが、間に合わずに入院3日目に息を引き取りました。

 私から電話をして病状を伝え、なるべく早めに帰ってくるように伝えていましたが、連絡してから1週間後くらいに帰省する予定を組んでいたようです。

 がんの終末期で家族が入院した、と連絡を受けたときには、何はともあれできる限り早く会いに帰ってくることを勧めます。

 終末期がん患者さんの病状の進行は、我々の都合に合わせてくれません。

 

 通夜・葬儀は身内だけで小規模に済ませました。

 残されたいとこは、四十九日の法要・納骨はともかくとして初盆会までは考えていなかったようですが、私の母や叔母から強く勧められて初盆会を開くことにしたそうです。

 叔父の住まいは荒れ果てていて弔問客をお招きできる状態ではなく、さりとていとこの自宅ではあまりにも遠すぎる、ということで、私の実家で初盆会を行うことになりました。

 亡くなった本人からすれば、姉の嫁ぎ先を会場にして初盆会をすることは世間的にどうなのか、という違和感はありましたが、母・叔母といった故人のきょうだいからすると、初盆会をしないなんて考えられない、弟に良くしてくださった方々にお参りして頂けないなんて到底受け入れられない、という心境だったようです。

 

 叔父は積極的に社会活動に取り組む人でした。

 家業を継ぐために仕事を辞めて地元に戻ってきて、地域を盛り上げるための自治会活動、消防団の活動など、精力的に取り組み、地域の方々からは頼りにされていたようです。

 行政と連携し、まちの環境整備や公共事業にも地域住民代表として参加していました。

 市長の交代とともに随分と不快な出来事もあったようですが、環境整備や公共事業にともに取り組んだ行政職員の方々が、暑い中わざわざお参りに来てくださいました。

 

 親族は過去にないくらいに集まりました。

 幼少期や祖父・祖母の葬儀の際くらいにしか集まれなかった母方のいとこが、遠くは関東から足を運び、文字通り一堂に会しました。

 それぞれ様々な道を歩んでいて、興味深い話を聞くことができました。

 

 実家で開催したとはいえ、それなりにお金はかかったと思いますし、お盆の休み期間は全てこの行事で過ぎていき、他のことは何もできませんでした。

 それでも、弔問客や親族と故人のことを語り合い、涙もろいいとこはマッチョな背中をふるわせて、何度も涙していました。

 

 CoVIDによる行動制限がなくなってからも冠婚葬祭は全て簡素化・簡略化という風潮が満ち満ちていますけれど、お盆には郷里に帰って、墓参りをして、親族と食事をしながら故人を偲ぶ、というのは、あとに伝えるべき慣習だなと感じました。

 1件だけ、亡くなった肺がん患者のご自宅にも初盆でお参りに行きました。

 生前入院中は、盆栽の手入れや飼い犬が気がかりで早く家に帰りたい、と常々おっしゃっていました。

 門を入ると青々としたたくさんの盆栽が並んでいて、玄関を入るとミニプードルがお出迎えしてくれ、故人の気持ちがよく分かりました。

 残された奥さんを帰省しお子さん・お孫さんたちが囲んでおられて、グリーフケアの場としても大切な機会だと思いました。